6/25/2019

山形行き

 
地震お見舞いの電話をしたら、
大切な従兄がその日に亡くなったことを伺い驚き悲しみました。
山形での葬儀は、通夜をして火葬してから葬儀と言う、
三日がかりのおお仕事のようでした。
 
私達は、お骨になってからの対面になってしまいましたが、
遺影の写真がとてもよく懐かしかったです。
 
葬儀は大変立派なもので、
今はやりの有名人の葬儀に、
勝るとも劣らない位の故人をイメージした
とても素敵な祭壇で、
こんな立派な花輪も50近くあり、お人柄を感じました。
 
遺影は、山形の山並みを背景にスクリーンに映し出され、
フルートの生演奏に迎えられ着席して、
お導師様を始めお坊様五人での
読経・鐘・太鼓・リンで荘厳のご供養でした。
 
小さな孫も何人かいて、リズムに合わせ体をゆすったり、
おじゅじゅをちぎったりしながら、
お利口に「じじちゃん」を見送ていました。
 
葬儀が終わり、親族と近しい人たちだけの
「5・7にち」=35日と言う儀式が行われ、
 
うやうやしく骨壷を抱えお坊様が、
火葬場で見る様な、台の上の銀盆に、
「お骨」を出して、
それを、また拾い戻すのです。
 
これは、一人箸でした。
それから、精進落としのお食事に招かれ
たくさんの花・持って帰れないのが残念でした。
 
二つの席に参列して、
二つの会葬御礼を頂き、手がちぎれそうな大荷物で、
ゆっくり、御挨拶状を見る事も無いまま
帰って来てしまい。
こんな素晴らしい「お礼の言葉」があったこと
改めて、ご本人・御親族の皆さまの温かい心に
振れた気がします。
 
本当に、大好きな叔母の子供たち・従兄は
皆やさしく・気持ちのいい人たちです。
 
肺気腫で苦しみながらも、
「男部屋」の100インチの大型スクリーンの中で
世界各国を旅し、美しいものを見て、
収集した絵画を堪能し、
料理上手・もてなし上手の奥様に支えられ、友とのだんらん
最後まで仕事に携わっていたと伺い、
早すぎますが、いい人生だったと思います。合掌。
 

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